浅草・歌舞伎まち歩き – まち歩き体験
歌舞伎の街・浅草
浅草といえば浅草寺、浅草神社を成り立ちとする信仰の街です。
628年の観音様ご示現より今日まで、多くの方々の浅草寺参詣と共に街は発展してまいりました。その長い歴史のうちに、衣食住に関する様々な町人文化もまた浅草から発展していきました。その町人文化の牽引役を担った代表的なものが江戸歌舞伎・猿若三座です。
観音裏に設けられた芝居町~猿若三座
そこには歌舞伎役者が暮らし、歌舞伎の上演や観劇に必要なものがすべて揃う一大エンターテイメントゾーンが形成されていました。
当時、歌舞伎は流行の発信源でもあり、様々なファッション(着こなしや色・柄等)や流行も生み出していました。浅草は現在でも和装の集積は東京一であり、着物はもちろん、簪(かんざし)に始まり、足袋や雪駄・草履に至るまで、まさに頭のてっぺんからつま先まで江戸好み、浅草好みで揃わないものはありません。
今なお東京に息づく江戸の町人文化
こうした視点で今一度浅草の街を歩いてみませんか。江戸歌舞伎の遺産ともいえる様々なお店があなたを江戸の町人文化へと導いてくれるかもしれません。
浅草・歌舞伎まち歩きの概要
東京で最も人気のある観光スポットのひとつとなっている浅草。木造の寺や神社、個性的な店舗が並ぶことで有名な浅草でのプライベートツアーにご参加ください。浅草の最も象徴的なランドマークの背後にある隠された物語を展開し、経験豊富なツアーガイドと一緒にその長い歴史について学びましょう。ツアーの内容は、リクエストに応じてカスタマイズすることも可能です。
ツアーの詳細
コース
浅草文化観光センター → 雷門 → 仲見世通り → 河竹黙阿弥翁住居跡之碑 → 伝法院通り → 浅草寺縁起 → 宝蔵門 → 本堂 → 二天門 → 浅草神社 → 浅草寺本堂裏 → 市川團十郎の「暫」の銅像 → 奥浅草・見番通り → 猿若三座 → 待乳山聖天 → 隅田公園山谷堀広場 → 展望テラス
待ち合わせ場所
浅草文化観光センターで、日本人ガイドと待ち合わせしていただき、ツアー開始となります。
※オプションで英語または、ベトナム語通訳同伴が可能です。
雷門
今や、浅草の象徴とも言えるランドマークで、浅草寺本堂よりも世界の皆さんにお馴染みの雷門ですが、最初にこの地に建てられたと思われる鎌倉時代13世紀前後から数度の火災のため、そのたびに建て替えられて来ました。
仲見世
仲見世は浅草寺の盛衰とともに発展して来ました。その始まりは18世紀末から19世紀初めのころと言われており、雷門寄りの手前には土産物や玩具、菓子などの店が、仲見世通りの真ん中を横切る伝法院通りから宝蔵門までは、水茶屋いわゆる飲食店が並んでいました。
河竹黙阿弥翁住居跡之碑
仲見世会館の角にあるこの碑は鶴屋南北(つるやなんぼく)と共に江戸歌舞伎を代表する歌舞伎作家、河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)の住居跡です。
伝法院通り
この仲見世通りに交差する通りを「伝法院(でんぼういん)通り」と呼んでいます。「伝法院」は浅草寺の建物で中心となる事務所の建物です。建物は1877年と浅草寺では二天門に次いで古い建物となります。伝法院の建物の奥には美しい日本庭園があります。
浅草寺縁起
浅草寺の謂われを記した「浅草寺縁起」が書かれています。
宝蔵門
創建当初は「仁王門」と呼ばれていましたが、上層部分が宝物を入れておく「蔵」の役目も果たしていたため、いつしか「宝蔵門」と呼称されるようになっています。
宝蔵門は、942年(天慶5年)、平安時代の武将・「平公雅(たいらのきんまさ)」によって建てられたと言われています。
本堂
浅草寺の本堂はご本尊の聖観世音菩薩を奉安することにちなみ、観音堂とも呼ばれる建物です。
国宝に指定されていた旧本堂は1945年3月10日の東京大空襲により焼失しましたが、その後全国の信者からの寄付により1958年に今日の本堂が再建されました。
二天門
二天門につながる東参道は将軍家の御成り道でした。徳川家康は、事実上戦国時代に終止符を打った「関ヶ原の戦い」の10年前の1590年、秀吉から江戸を含む関八州(今の関東地方)を与えられた家康は江戸に入府しました。この時、家康は浅草寺を祈願所にします。
浅草神社
浅草神社。いわゆる三社様です。三社祭りはこの浅草神社のお祭りです。
土師真中知の没した後、間もなくその嫡子が観世音の夢告を受け、檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟とその主人・土師中知(はじのなかとも)を、三社権現・神として祀ったのが三社権現社(浅草神社)の始まりです。
浅草寺本堂裏
言問(こととい)通りを越えて観音裏(かんのんうら)今は奥浅草と呼んでいるエリアです。奥浅草で昔「猿若町(さるわかちょう)」と呼ばれた町が、この「浅草・歌舞伎まち歩き」のテーマ江戸浅草歌舞伎の舞台になります。浅草寺の本堂裏では、近年「平成中村座」の特別公演が秋に開催されています。中村屋にとって浅草の猿若町はルーツともいえる場所と言えます。猿若町にほど近いこの浅草寺本堂裏で平成中村座の公演を行う理由はそこにあります。
市川團十郎の「暫」の銅像
この像は、「劇聖」と賞賛された明治時代の歌舞伎役者、九代目市川団十郎(1838~1903)の十八番「暫(しばらく)」の銅像です。主人公である鎌倉権五郎の力強さにあやかり、毎年4月、この像の前で威勢良く赤ちゃんの泣き声を競う「泣き相撲」が奉納されます。
現在の像は、十二代目市川団十郎(1946~2013)襲名を機に復元されたもので、歌舞伎愛好者のみならず、多くの市民に親しまれています。
奥浅草・見番通り
奥浅草は、以前は観音裏と呼ばれていたエリアです。
昔この辺りは料亭が並んでいましたが、今は大分減ってしまいました。
見番は、芸妓さんのマネジメントをする事務所です。
猿若三座
この三座の碑が並ぶこの道が、猿若町のメインストリートになります。猿若町の真ん中を横に一直線に横切る通りが、今のこの通りになります。
待乳山聖天
この標高約10mの小高い丘での上にあるのが待乳山聖天です。正式には本龍院待乳山聖天といい、浅草寺の支院のひとつです。
隅田公園山谷堀広場
今昔山谷堀川の河口で、日本橋や各地から屋形船で来た物見遊山の客は、芝居見物の客はここで陸にあがり、猿若町の浅草三座へ、吉原へ遊びに行く客はここで舟を小さな猪牙船に乗り換えて山谷堀川を遡って吉原へ入りました。
展望テラス
待乳山聖天の浮世絵コレクションの一部が、10カ所の陶板レリーフに再現されています。
浮世絵の解説はスマートフォンのアプリで見られるようになっていますので、チャレンジしてみて下さい。
浅草・歌舞伎まち歩きツアーは、これで終了です。
時間と料金
7,250円/1グループ:1~5名程度
約2時間
通訳サポート
原則、本ツアーは、原則日本語ガイドとなりますが、オプションで英語または、ベトナム語通訳同伴が可能です。
詳細は、お申込の際にお問合せください。
集合場所
浅草文化観光センター
〒111-0034 東京都台東区雷門2丁目18−9
※必ず事前予約の上、ご利用ください。
お申込・お問い合わせはこちら
Email: travel@ebrand.co.jp
ディスカッション
コメント一覧
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